新幹線のぞみ号の指定席。窓の外を流れる見知らぬ街の灯りは、あっという間に暗闇に溶けていく。
出張の日は、いつも少しだけ胃のあたりが重い。水分補給はいつもお茶ではなく水と決めている。
ペットボトルの透明な液体をひと口だけ含み、僕はカバンに視線を落とした。
罹病後、間食はほとんど取っていない。無駄に1日の塩分摂取量を増やさないようにしている。
正直、心臓だけではなく腎臓機能も衰えている。eGFRは50。
この年齢でこの数値の悪さは遺伝だと思ってる。
父親も、僕と同じ年齢くらいに人工透析になった。
出張時は食事の調整が難しい。塩分がどのくらい入っているか、わからない外食はできるだけ避けている。
1日3回の食事のうちの「1回分」はどうしても、ただ淡々と消費するための寂しい食事になりがちだ。
ホテルの部屋のデスクの上の冷たい明かりの下で、買ってきたプラスチックの容器を広げる。
中身は、コンビニの棚から選んだサラダ。ドレッシングは備え付けの半分だけを慎重にかけて、残りは使わない。
それから一本のバナナ、ヨーグルト。そして、家を出るときに妻がラップに包んで持たせてくれたおにぎり。
本当は、目の覚めるような濃い味のものが食べたい。
惣菜コーナーの棚に並ぶ、塩気の効いたパスタや唐揚げはどれもこれも美味そうだ。
しかし、そういう「うまそうなもの」のパッケージの裏側をひっくり返すと、決まって僕の1日の上限である6グラムという数字を、一瞬で踏みつぶしていくような絶望的な数値が並んでいる。
「これのどこがいけないんだよ」と、誰にともなく心の中で呟いてみる。
ドレッシングを半分に減らしたサラダを口に運び、家で作ってもらったおにぎりを頬張る。味気ないとは言わない。
妻が握ってくれたものなのだから。
それでも、好きなものを好きなだけ、塩分など気にせずに胃に放り込むことができたあの頃の日常には、もう二度と戻れないという事実が、乾いたトーンで喉の奥につっかえる。
1日6グラム。
医師から言い渡されたその制限は、気まぐれな一時的なものではない。
これから先の人生、何十年もずっと、この窮屈な数字の枠内で生きていかなければならない。その「一生続く」という終わりのなさが、この病気を抱えた暮らしの中で、一番静かに、そして確実に心をすり減らしていくストレスだった。
1日6グラムは拷問に近い。正直、僕の計算では9グラムは摂取してる。
このくらいは摂らないと味がしない。それでもつらい数字。
テレビをつけると、グルメがどうとか、大食いがどうとかいう番組が流れている。
画面の向こうの人間たちは、きっと自分の塩分量など気にも留めず、夜の街で好きなものを食べているのだろう。
以前は自分もそうだったから文句はないが、見るたびにこの体質を恨む。
僕はペットボトルの「水」をもうひと口飲み、食べ終わった透明な容器のゴミを静かにまとめた。
出張先のホテルの夜は、いつだって僕が「もう無敵の若者ではない」という現実と、
この終わらない制限の窮屈さを、静かに突きつけてくる場所だ。
