「パパ、走ろう」無邪気な声に応えられない僕の壊れたエンジンと、迫り来るタイムリミット

公園で子供とサッカー 家族

「鬼ごっこしよう」
その無邪気な誘いに、僕は30秒しか耐えられない。
もちろん全力ではない。4歳の子供と同程度のスピードだ。
肩車やジャイアントスイング的な、男子が大好きな身体をダイナミックに動かす遊びも、数秒しか持たない。

ジムのウォーキングマシンなら、時速5kmで歩くことができるようになった。
でも一定のペースで歩くことと、子供の予測不能な動きに合わせてダッシュしたり、
10kgを超える身体を抱えて振り回すことは、僕の心臓への負担がまったく違うのだ。

40代でこれは、どうしようもなく悲しい。
もっと遊んであげたいが不甲斐ない。子供が満足するまで一緒に遊んであげることができないのが、この病気の一番つらいところだ。

見えない病気と、小さな疑問符

労作性狭心症は、激しい運動さえしなければ健常にしか見えない。
だから4歳の息子はきっと「パパが『怠慢』で遊んでくれない」と思っている。

なんで家の中ではプラレールで遊んでくれるのに公園では遊んでくれないのか。
彼の頭の中には、不満というより、純粋な疑問符が浮かんでいるにちがいない。

結局のところ、今の僕はごまかしながら付き合うしかない。

鬼ごっこも、サッカーも、数十秒走っては「ちょっと休憩」。
息を切らす僕を見て、息子は露骨にがっかりした顔をする。
「えー、またー?」
口を尖らせるその小さな不満が、チクチクと胸に刺さる。
それでも、休み休みやれば、今の彼とならギリギリ相手をすることはできる。
誤魔化しながらでも、笑い合うことはできる。

残酷で必然的なタイムリミット

けれど、本当に怖いのは今じゃない。
この先、彼が5歳になり、小学生になり、体力が無尽蔵に増えていったとき。
僕のこの壊れたエンジンでは「休み休み」すら通用しなくなる日が、必ず来る。

公園で立ち尽くし、遠くでボールを蹴る彼を見つめる。
今はまだ「パパ、早く!」と僕を待ってくれる彼が、いずれ僕を置いて、手の届かないスピードで走っていくようになる。
その残酷で必然的なタイムリミットが、時折、ひどくリアルに頭をよぎる。

解決策なんてない。
ただ、少しでもその日を先延ばしにしたくて、僕は今日も「もう一回だけな」としんどさを隠しながら、重い身体を引きずって彼を追いかける。